アルパックニュースレター190号

武蔵野新田が生んだ風景

執筆者;都市・地域プランニンググループ 坂井信行


 

 戸建て住宅が背割りで建ち並ぶ細長い街区。ずっと奥まで300~500mほどもあるでしょうか。街区を途中で横切る道路はありません。一旦入り込んでしまうと、抜けきるまで横にそれることはできません。写真は小平市内の住宅地です。
 もともと細長い短冊状の農地だった土地が、そのままの形状 を引き継いで住宅地になったものです。この特徴的な細長い農地は、江戸時代に開発されたもので、武蔵野新田と呼ばれています。大雑把にいうと、南に玉川上水、北に玉川上水から分水した野火止用水が東西方向に流れ、真ん中を通る青梅街道を中心に南北に細長い農地が広がっています。
 自然の河川が少なく水が確保しにくい上に、関東ローム層の酸性土、この土地で作物を育てるのは至難のことでした。江戸幕府によって莫大な費用をかけて開削された玉川上水から水を引き、雑木林の落ち葉を堆肥とすることでようやく農地となったのです。それぞれの短冊状の土地は、街道に面したところに屋敷林と家屋、真ん中に農地、一番奥に雑木林と3つがセットになっています。現在はかなりの部分が宅地化されたとはいうものの、雑木林や農 地は至る所に残っています。こうして、平地に雑木林と農地が混在する関西ではほとんど見ることのない独特の景観が生まれました。国木田独歩は小説 「武蔵野」の中で次のように書いています。
 「畑はすなわち野である。されば林とても数里にわたるものなく否、おそらく一里にわたるものもあるまい、畑とても一眸(いちぼう)数里に続くものはなく一座の林の周囲は畑、一頃(いっけい)の畑の三方は林、というような具合で、農家がその間に散在してさらにこれを分割している。すなわち野やら林やら、ただ乱雑に入組んでいて、たちまち林に入るかと思えば、たちまち野に出るというような風である。それがまたじつに武蔵野に一種の特色を与えていて、ここに自然あり、ここに生活あり、北海道のような自然そのままの大原野大森林とは異なっていて、その趣も特異である。」
 独歩が生き生きと描いた武蔵野の風景。今もその面影は引き継がれています。


住宅のすぐ裏に広がる畑

玉川上水の雑木林

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2015年3月1日発行

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