アルパックニュースレター192号

特集「戦後70年・まちに残る戦争の記憶/記録を巡って」
原爆目標としての京都

ニュースレター編集委員 長沢弘樹

 当時の他の大都市が戦争の被害を大きく受けていたのに比べ、京都の市街地の受けた被害が大きくなかった理由として、以前はよく、米軍関係者が京都の文化財の価値を認め、その保全を図ったからだと言われていました。
 しかし、近年になって米軍の機密情報の開示が進んだことにもより、京都の市街地への空襲が少なかった理由が、米軍が文化財の保全を図っていたからではなく、当時の米軍が原子爆弾の投下候補地の筆頭に京都を挙げていたからだと分かっています。また、京都は北、東、西の三方を山に囲まれているために、原爆による爆風の効果がより大きくなり、候補地として適切であるとも考えられていました。投下予定地は、市街地と工場の両者を効果的に破壊できるところとして、京都駅の西側の梅小路機関車庫が定められていました。
 京都にとって幸運なことに、その後、京都は原爆の候補地から外れています。それは、古の都であった京都に原爆を落とすと、天皇を崇拝していた当時の日本国民の反感を買い、戦後の占領政策に悪影響を与えるという理由です。ただし、その後も幾度か原爆の候補地として検討されていました。
 京都の代わりに候補地の筆頭になったのが広島です。また、新たに候補地に加わったのが長崎でした。
 もし、京都に原爆が落ちていたら、京都のまちの姿は大きく変わっていたでしょう。その場合、京都のまちを舞台としたアルパックの業務も、現在とはかなり違うものになっていたかもしれません。