アルパックニュースレター184号
『新しい広場をつくる』

『新しい広場をつくる』
文化・芸術は何の役に立つのか
私たちが日常的に関わらせていただいているまちづくりには、「文化」や「芸術」というキーワードがよく出てきます。まちづくりの中に「文化」や「芸術」の要素が入ってくると、何となくクオリティが高くなった感じがしませんか?しかし、この「文化」や「芸術」というものは私たちの社会にとってどのような役に立ち、またどのように扱われるべきなのでしょうか。いろんな説明があると思いますが、本書の中では次のように書かれています。
「経済合理主義だけでは、社会は不安定になる。その緊張状態を緩和し、人々が融和するために文化があり、芸術がある。だとすれば、文化、芸術には、基本的に経済合理性を求めるべきではなく、少なくともそれを求めすぎると、文化、芸術が本来持っていたコミュニティ維持のための役割を損なうことになるはずだ。」
要約すると「文化」や「芸術」には緊張状態を緩和してコミュニティを維持する役割があるということです。
文化資本は逆転できない
良いものを見つけるセンスや洗練された振る舞いといった、その人の品格とでもいうものを“身体化された”「文化資本」と呼ぶそうです。文化資本には他にも書籍や絵画などの“客体化された”もの、資格や学歴などの“制度化された”ものがあります。一般に文化資本をたくさん持っている人ほど暮らしの質も高くなるのではないでしょうか。ところが、身体化された文化資本は子どもの頃からの生活の中で自然と身につくものであり、大人になってからでは逆転できないと言われています。そのため、文化的な環境に恵まれた東京と地方とでははじめから大きな格差が生じてしまいます。それでも逆転できない格差を少しでも埋めるためには、文化資本の獲得に努力し続けるしかありません。
本書では、人々の出会いの広場=コミュニティスペースとしての「新しい広場」によって支えられた、様々な人々の居場所がきちんと用意された重層性のある社会でこそ誰もが文化資本を獲得できるという考えが説かれています。
「新しい広場」論はコミュニティ論である
「無縁社会」が取りざたされる昨今、孤立しがちな人の社会参加を進めていくことが必要になっています。著者によると、そのためには排他的になりがちな地縁・血縁型の社会だけではなく、経済合理性のみに支えられた冷たい利益共同体でもない、その中間に「文化」や「芸術」によって緩やかに結びつくもう一つの共同体が有効だとのことです。このような「文化」や「芸術」による社会包摂の考え方が、文化資本の格差による社会の階層化をも防ぐのです。そして、その結びつきを生む場が「新しい広場」という概念です。「新しい広場」論は「文化」や「芸術」を媒介にしたコミュニティの形成を目指す、コミュニティ論であると私は理解しました。
文化の自己決定能力と地域力
地域が自立して活力を維持していくためには「自分たちの愛するものは何か、自分たちの誇りに思う文化や自然は何か、そこにどんな付加価値をつければ、よそからも人が来るのかを自分たちで判断できる能力」が必要で、こうした能力を著者は「文化の自己決定能力」と呼んでいます。文化の自己決定能力は、自らが住む地域のことを学び、誇りを持って考える人がたくさん住む地域にこそ宿るはずです。それは「地域力」と言い換えても良いでしょう。「新しい広場」によって人々が結びつく場を与えられた地域では地域力が育まれていく。本書は「文化」や「芸術」によるまちづくりのあり方を問う、まぎれもないまちづくり本なのです。







