アルパックニュースレター186号

連載4「創始者に聞く」

インタビュアー:都市・地域プランニンググループ/依藤光代

 今回のインタービューの場所は、京都三条会商店街の「魏飯夷堂」。
 三条通は、東海道五十三次の終点で、昭和4年に中京区ができるまで上京区と下京区の境でした。今も祇園祭のお神輿がここを通ります。京都で東西に最も長い通りで延長17キロあり、8つの商店街があります。三条会商店街はその中でも最大で、アーケードは800mあります。
 実は、この店は、三輪さんの生まれた家で、明治29年(1896)分家したお祖父さんが建てました。本家は禁裏御用を勤めていた本田味噌本店です。姓は三輪ですが屋号は本家と同じで、その本田商店の「味噌」という看板、年代物の家具や布袋さんも残しています。築118年の京町家と中華料理のミスマッチ、抜群の味が評判で、開店前からご覧のような行列です。


開店前から行列ができる

「全員営業」がアルパックの基本とされています。三輪さん流の営業のしかたを教えてください。

 ビジネスが成り立つ必須要件は営業で、私達の業態では“受託”です。そこには当然“競争”があります。
 昔も今も競争の仕方は2つ。価格競争とコネでもって発注者との関係を作る仕方。シンクタンク、コンサルタントのベンチャーには、競争の仕方もそれらしさがあるべきです。そのような競争でエネルギーを損耗するのはつまらない。創業の基本理念に従って、「独自の技術や方法を創造し、アピールする」第3の道をめざしました。それをPhase(位相)をはずすと言っていました。
 今は、国や地方公共団体の発注方法はずいぶん変りました。価格だけで決めないプロポーザル方式が主流になってきました。その提案要請に的確に応えるために“第3”の道は有効です。
 そして、世の中には常に新たな問題が起こってきます。代替案を提示するのもシンクタンクの使命です。創業の精神は、まだ新鮮さを失っていません。(詳しくは、ニュースレター No.76~80参照)
 提案方法の一つが、前号でお話ししている「仕掛け」です。

仕掛けていく切り口は、例えばどのようなものがありますか。

 “常識”や慣れを疑うことですか。古いところでは、「全国総合開発計画」は陸地だけ見ていましたが、日本列島は28,000キロもの海岸線があります。ウミからも見る必要があるのではないですかと「海洋スぺース利用計画」(1977年)を提起しました。海岸は関係する省庁がたくさんあり、海底資源や生態系など、問題も複雑です。「大阪湾ベイエリア開発法」が公布されましたが、課題は残っています。
 京都市と大学は、建築確認くらいしか関わりがないと思っていないですかと問題提起したのが、いまではあたりまえになっている「大学のまち・京都」の始まりです。大学は水道局や交通局にとっては大事なお得意さん。教職員と学生は市民所得の10%以上貢献しています。都市計画とも関わります。大学キャンパスの高さ制限が、現実的な問題になりました。

「仕掛け」が成功するカギは何でしょうか。

 モチベーションは何処にでもありますが、ひとつだけでは実現しないです。
 大学は一大設備産業みたいなもので、研究施設は20年もすれば老朽化してしまいます。関西学研都市は、厳しい国際競争の中で闘っている大学研究機関と、膨大な土地を抱えていた公団などのモチベーションとモチベーションが結びついて推進へのパワーになったといえます。 
 しかし、それだけでも成功しないです。奥田東先生は、このような大きな事業成功の秘訣は「天の時、地の利、人の和」が揃うことだとおっしゃっていました。決定的要件は人類のためという使命感、カッコよく言えばパッションです。人脈・ネットワークを駆使して、人の和をつくる意気込みです。

人脈の開拓の秘訣はどのようなところにありますか。

 誰でも持っている「地縁血縁・同級同窓」からですね。昔から私は違う分野や対極の領域に興味を持っていました。文学部・経済学部・法学部や医学部へも出かけて行きました。法学部出身で映画監督になった大島渚さんとは、劇団創造座の時代から論敵でもあり、小山明子さんとの婚約、私の結婚披露へと続き、亡くなるまでのお付き合いでした。
 西山先生から「修行」にと言われたのが、なんと西山研究室とは犬猿の仲と思っていた東大吉武研究室の事務所。鈴木成文さんが大阪市大へ転出された入れ替わりでした。友を大切にすれば、どんどん輪が拡がります。

アルパックも、もともとは小さなベンチャー企業から始まりました。いつまでも基本となる経営の考え方は何ですか。

 中小零細企業の経営哲学「稼ぐに追いつく貧乏なし・金は天下のまわりもの」です。働くことによって付加価値を生みだし、利益を上げ再投資してより強くするのが経営の基本。お金の循環原理は、市民経済でも同じです。アルパックの経営データそのものが中小企業経営や都市経営のテキストです。
 生まれ育った環境が、経営感覚に影響するところ大です。私は祖父母に育てられましたが、特に体系的に教育されたわけではなくて、「親の背を見て子は育つ」ですね。後になって判ってきます。この三条の店を見て、祖父は20歳代にして綿密に工場の立地選定を考えていたことが判ります。地域計画のよい教材です。味噌づくりの熱源にいち早く、蒸気ボイラーを取り入れていましたが、感心したのは、ボイラーの古い真鍮の弁をピカピカに磨き、隠居の玄関之間の花生けにしていた感性。紫の袱紗の上に置くとシュールなオブジェのようでした。
 祖父母とは隠居後も一緒に暮らしました。隠居には100坪ほどの畑があり、嵯峨の農家の出である祖母に畑仕事を仕込まれました。祖母は若い頃、さる宮家へ女官として奉公に上っていましたので、座敷のしつらえや、お茶事の先生でもありました。

自分自身のルーツも、仕事のスタイルなどに現れてくるのですね。

 国にも、アルパックにも、個人にも歴史があります。ただ、あるだけでは、古新聞のようなゴミの山。記録し、よいこともよくないことも評価を加え、整理して“顕彰”すれば未来への活きたパワーになります。私は、エクセルで、パーソナルヒストリーを年表にしています。日々更新中です。日誌と年表は、歴史の一次資料。自分が何者かを知る手がかりとして、お勧めです。

<インタビュアーの感想>
 私の家系は代々農家で、里山と田園に囲まれて育ちました。そうした私の生い立ちは確かに、風景に対する感性や人付き合いについての考え方に現れていると感じる時があります。「ニーズとニーズを結びつける」ことなど、これからの仕事の中で活かしていきたいと思います。


古い家具と後ろは布袋さん

参加した編集委員も一緒に記念撮影