アルパックニュースレター163号
水木しげるロードのはなし~その誕生と成長
田舎の商店街での怪奇現象
鳥取県は弓ヶ浜半島の北端に位置する、人口3.5万人の境港市では、年間170万人を超える観光客が訪れるという特異な現象が起きています。2009年の一年間をかけて、現地の方々にお世話になりながら修士論文のための調査を行い、関係者へのヒアリングと新聞記事を掘り起こすことによって、「水木しげるロード」(以下、ロード)ができたころからの様子を把握しました。その結果をもとにロードの躍進の過程を、土台が形成される時期にフォーカスして解釈してみたいと思います。
JR境港駅に降り立てば、水木しげるロードと名づけられた約800mの商店街の始まりで、歩道には妖怪をかたどったブロンズ像が130体ばかり並んでいます。ひとつひとつが彫刻家と水木しげる先生の手によって細部までこだわって造られたもので、かわいいものから世にもおそろしげなものまで、表情豊かな妖怪たちです。どの像もどこかしらブロンズがはげてしまって金色にかがやいている部分があるのは、訪れる観光客の多さと、触れられ親しまれている様子を物語っています。
なぜ小さな商店街の観光客数がここまで伸び続けたのか。ブロンズ像の大きすぎない絶妙なサイズや完成度の高さは重要な要素で、またアニメや映画等のメディアで「ゲゲゲの鬼太郎」が取り上げられたことも無関係ではないでしょう。ロードができる前から店をなさっている商店主の方々は口々に「さびれた商店街が活気づいたのは、妖怪たちのおかげ」とおっしゃいます。しかし、見落としてはならないのがこの地元商店主の方々なのです。
妖怪が観光客を連れてやってきた
商店街に妖怪を連れてきたのは、市の職員でした。妖怪ブロンズ像の設置は、商店街を貫通する都市計画道路の歩道を拡幅し、シンボルロードとして整備する事業の一環で行われました。「境港出身である水木しげる先生の漫画をモチーフにしよう」という提案には、「さびれた商店街に妖怪なんて」と地元は誰も賛成しません。しかし職員が粘り強く何度も説明を行うことで、商店主らの何人かが理解を示すようになり、1992年に事業はスタートしたのです。
ブロンズ像が設置されると、すぐに市の内外から観光客がやってくるようになりました。そこで商店街として、せっかく来てくれる人がいるのだからと無償で地図を配布したり、手作りの土産品を販売したりと、1993年ごろからもてなしの対応を始めます。また、ブロンズ像が一通り設置された1994年には「完成記念式典」が開催され、ロードでの会場設営が市から商店街に委託される形で、地元商店主たちが市と一緒になって盛り上げました。
1997年には地方博覧会という市を挙げてのイベントの時期とも重なり、観光客は増加していましたが、一方で市の財政は思わしくなく、建設が心待ちにされていた「妖怪博物館」を断念せざるを得なくなりました。市と共にロードを盛り上げてきた商店街の機運も、連動してしぼんでしまいます。

ブロンズ像
妖力結集し大躍進
この逆境に抗い、立ち上がった人々がいました。商店主をはじめとする26人が、商店街の組織とは別に、新しく「水木しげるロード振興会」という任意の組織を結成し、ロードをさらに盛り上げていこうと活動を開始します。1998年に結成後、すぐにブロンズ像の説明を加えた詳細な地図を作成し、また手作りの様々なイベントを多数開催しました。1999年には県の商工系の補助金を活用し「商店街活性化基本計画」を策定し、水木しげるロードの将来像を描きました。さらに同時期に水木しげるロード振興会のメンバーのうち7人で株式会社を設立し、活性化基本計画に書き込んだ事業の一つである「妖怪神社」を2000年に建立することまで成し遂げてしまったのです。
その後2003年には市が、商店街の駅とは反対端に「水木しげる記念館」を完成、また2004年には観光協会が中心となって資金を全国から募り、ロード内にブロンズ像40体を増設しました。このように、逆境を超えて築かれた土台の上にさらなる整備が進み、800mの商店街は空間的なまとまりを持った一つの観光地となりました。
妖怪に魅入られた人たち
発足時点での水木しげるロード振興会のメンバーは、商店主全体の内の3分の1程度でした。中でも中心となって情熱を傾けた人々を見てみると、手先が器用な人が多く、ロード完成当時に率先して手作りのお土産を作成しています。また肩書き云々というよりは、観光客と交流するのが好きであったり、周辺の商店と仲良しであったり。そんな人たちが、ロード完成初期にみんなで行ったイベント等で、一緒に汗を流しながら情熱を共有し、そして1997年ごろの市の財政難という逆境に対して「自分たちがなんとかしなければ」という心をひとつにし、力を合わせることになったようです。
ここで、妖怪を商店街に連れてきた市の職員は、その後も頻繁に商店街に通い、逆境時には商店主らに交じって共に行動を起こし、活動の中心を担ったことは注目できます。情熱の火薬が詰まっていたところに、導火線に火をつけ、さらに計画策定や事業実施のスキルを用いて大きく花火を打ち上げた役回りと言えましょう。
異彩を放つ商店街として
水木夫人著の「ゲゲゲの女房」がドラマ化され、今年もアツい夏となった水木しげるロードですが、今後どのように追い風を利用し、また逆風を乗り越えるのか、地方の商店街の中でも異質で怪しい輝きを放つ水木しげるロードから目が離せません。
|
|









