アルパックニュースレター194号

3.11東日本大震災後の復興まちづくりと関西にとっての課題

執筆者;代表取締役会長 杉原五郎

 「被災後4年半が経過して、復興まちづくりに新しい光が見えてきた」、「地域には、頑張っているキーパーソンがいた」
 10月9日(金)から11日(日)まで、都市コン関西9社の世話人よる復興まちづくり視察で、宮城県石巻市の中心市街地と半島部、隣接する女川町を見て回り、このような印象を持ちました。

復興まちづくりのキーパーソンと懇談

 石巻市役所では、復興事業部の後藤基盤整備課長から、石巻市における被災実態と復興事業の進捗状況について説明を受けました。800年に一度という未曾有の大地震と想像を絶する津波によって、石巻市では、3,537名が亡くなり、不明431名、全壊家屋22,357棟、半壊等31,385棟とのことでした。復興事業は、復興集中期間の5年が経過し、復興事業はこれからピークを迎える中、現状の災害復興事業で十分に対応できているのか、不安の声が出ました。
 石巻商工会議所では、高橋専務理事から、地元の経営者が先頭になって復旧・復興のまちづくりを進めてきた体験談を生々しくお聞きしました。石巻市役所は震災前に広域合併しており震災時の対応でパンク状態に陥った、行政と民間企業との連携がうまくいかなかった、人材と資材の不足で復興事業が順調に進んでいない、半島部の高台移転は困難に直面しているなど、具体的な問題指摘がされました。しかし今年の8月、水産都市石巻の象徴である魚市場が再建され、復興の取り組みは前進に向かって歩み始めたことを強調されました。
 石巻の料理屋八幡家の女将をされている阿部さんには、被災した直後から隣近所の人々が中心になって「情報交換会」を始め、地域で復旧・復興のまちづくりに必死になって取り組んできたことをお話していただきました。「松川横丁」という路地のまちづくりは、東京工業大学の先生や建築設計事務所の支援を得て、今年の9月、COMICHI石巻として竣工を迎えました。石巻のまちに新しい復興の光が見えたと感じました。
 石巻魚市場株式会社の須能社長は、被災直後、山の方に逃げて奇跡的に助かりました。水産政策審議会の委員でもあった須能社長は、地元選出の財務副大臣などとの人的ネットワークを生かして、延長880mに及ぶ東洋一の魚市場を再建されました。ただ、市場は再建されたものの、魚市場の売上げは震災前の5割程度にとどまっており、復興はまだ全体で6割程度とのことでした。
 定年の間際に震災に直面した宮城県土木事務所職員の今野さんは、被災地の復旧・復興を進める地元リーダーとして奮闘してきました。被災直後の水と食料の確保、名簿づくりや薬の手配、感染症対策など避難所生活を被災住民の自主的な努力で切り抜け、復興区画整理事業の地元提案のとりまとめにも尽力されました。被災地では、現地に自らの家を建てて居住することを決意したひと、災害公営住宅に移ることを決めたひと、他の地域に移転していて地元に戻らないひと、それぞれ3分の1とのことでした。
 石巻は、震災前から郊外部に大型ショッピングセンターが立地し、クルマ中心のまちが形成され、中心市街地の衰退に直面していました。こうした中で設立されたまちづくり会社の(株)街づくりまんぼうは、まちの将来像「歩いて楽しいまちなか生活」を実現するため、食の情報発信、仮想商店街・橋通りCOMMON、漫画館の指定管理者などに取り組んでいます。長浜の黒壁や境港の経験も学びながら、全国各地から専門家やNPOなどの支援を得て、会社として利益も出して元気なまちづくりを推進しています。

関西にとっての課題

 このたびの復興まちづくり視察から、私は次の4つの教訓を得ました。
(1)3.11東日本大震災による被災実態をリアルに伝えていくことが大切
(2)想像を絶する未曾有の緊急時には、思いを持ったリーダーが行政にも民間にも求められる、そして、このリーダーを支える大学の研究者やコンサルタント、NPOやボランティアの役割が重要
(3)予期せぬ災害に対しては、日頃からまちづくりを地道に積み重ねておくことが大切、このことは、緊急時の避難だけでなく、復旧や復興のまちづくりの局面においても、必ず生きる
(4)地震や津波など巨大な自然災害に対して、現状の法制度は十分に対応できていないのではないか、この現実を踏まえて、今後30年以内には確実に起きるとされる東海・東南海・南海地震などに対する防災と減災に備えることが重要
 今回の視察を企画して、都市コン関西の世話人会としての一体感を共有することができ、有意義な視察となりました。


視察のメンバー、JR石巻駅前にて

松川横丁に再建されたCOMICHI石巻