アルパックニュースレター185号

連載3「創始者に聞く」

インタビュアー:環境マネジメントグループ/中川貴美子

前回、「職能を絶えず問い続ける。ということが必要」とありました。私たちの職能とは何でしょうか?

 3年後に創業50年になります。その間、世の中の変化や仕事の受注の仕方、働き方も変わってきていることもあります。変わっていくことについては、その時々で先端を行けば良いですが、変わらない普遍の原理があります。  市町村の基本構想が議会の決議事項になって以降、都市計画から環境、福祉などあらゆる分野が法律に基づく計画行政となっています。そのため、昔に比べると多くの業務が行政から発注され、それだけをこなしていれば、食べていけるかもしれませんが、私たちの職能はそれで良いのでしょうか?
 本来の私たちの職能の課題は、地域で何が起こっているのかに目を向けることです。地域の人々が困っている問題、悩んでいる問題は全て、本当は私たちの責任です。注文に応えて計画書や報告書をつくれば良いのではなく、地域での困りごと、悩んでいることに着目していかなければなりません。

三輪さんの経験の中での仕事の仕掛けについてお話を聞かせてください。

 関西文化学術研究都市の立ち上げも、どこからか受託したわけではなく、京都大学の奥田東先生がローマクラブの「成長の限界」にショックを受け、これが人類の問題であると感じられ、奥田先生と河野卓男氏(ムーンバット社長)と私で、毎週1回会って、議論をしたのが始まりです。人類のために、日本が関西でイノベーションセンターをつくらねばならないということで、学会、経済界、各省庁に働きかけを始めました。私の役割は、各省庁への働きかけと事務局です。有識者の方は交通費、謝金なしで70名くらいが集まり、議論して頂きました。事務局として必要な経費は、アルパックが負担しました。
 そのような責任からいえば、難しくても、「ようやらんわ」とは言えません。「実現するにはどうしたら良いか」ということを考えるのです。

仕掛けの求心力やきっかけはなんでしょうか?

 求心力は人物一人です。関西文化学術研究都市の時は、奥田東先生が求心力となりました。そのエネルギーはパッションです。
 アルパックのストックを勘定しておく必要があります。関西文化学術研究都市の際も、奥田先生は、土地勘、地域情報を持っているアルパックを見込まれました。
 アルパックは当初から、関西以外でも仕事もしていますが、そのきっかけは、知人や縁のある地域で、「知識のお土産」を持っていったことによります。情報を媒体として、人を媒体として広がっていけばどこまでも広がっていきます。
 若い人は何をやっていったら良いかというと、「どんどん知り合いを広げよ、厚かましくいけ、粘り強くいけ」それだけです。そして、知識のお土産を持っていき、広がっていくのです。

<インタビュアーの感想>
 インタビューは、「現地主義、現実主義」とはどういうことか分かっているだろうか?というところからスタートしました。「全ての地域の悩んでいる問題は私たちの責任である。」という言葉を軸に、これからも地域と向き合っていきたいと思います。