アルパックニュースレター182号

城はないけど城下町、高槻で町家を照らします

執筆者;マチヤ・テラス 岩崎卓宏

 ようやく秋らしくなってきました、と言うか、いきなり冬になろうとしてないか!もうちょっと秋をたのしみたいなどと思いながら空を見るこの頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

意外と知られていない高槻の町家

 大阪府高槻市はれっきとした城下町です。城はすでにないのですが、街路や町家には名残があります。高槻と言えば、住むための町であり、緑豊かな北摂の衛星都市という印象が強いと思われます。歴史的な話では、古墳が有名。海外ではキリシタン大名、高山右近が知られている。つまり、今の高槻で町家を話題にする人はとても少ない。「ん?高槻に町家?そんなもんあったっけ?」というのが一般的で、京町家とか大阪長屋とか、他所の町家に関心があっても、高槻の町家には思い至らない。
 実際はどうでしょうか。点在する形ではありますが、結構残っています。歴史景観がもてはやされるような街並みは稀少ですが、例えば旧城下町、西国街道芥川宿、酒造りで有名な富田というふうに、それなりに歴史あるまちがあれば、それなりに町家はあるものです。ところがどんどん町家は消えていく。この状況は他所のまちとまったく同じだと思います。
 そこで、高槻のまちのどこにどんな町家がどんなふうに残っているのか、これを調べてみようと2008年秋に始めたのが「町家・まちなみ調査」です。ほんの少人数の市民活動であるマチヤ・テラスがトコトコとまちを歩きまわり、町に残る町家の外観調査を行い、町家の実態を把握していきます。例えば、旧城下町のかつての目抜き通りについて、通りの総延長に対する町家間口の合計の割合を算出した「マチヤ率」は概ね3割。これを多いと思うか少ないと思うか人によって違うと思いますが、でも、決して、「高槻に町家はない」と言い切るわけにはいかないことははっきりしたと思います。現在も、旧城下町と宿場町とでは町家の特徴に違いがあるだろうか?ということを分析してみたり、たのしみながら作業を続けています。そして、これらの結果は、高槻の「町家図鑑」にまとめようと作業中です。いつか形になった際にはご覧いただけるとうれしいです。

マチヤ・テラスの活動

 マチヤ・テラスというのは、高槻市が2006年に行った「景観ワークショップ」の参加市民が、ワークショップ終了後も活動を継続しようと集まったのが始まりです。このワークショップのコーディネイトはアルパックが関わっていたので、担当者は私たちの立ち上げの様子も目撃していたわけで、以来、何かと気にかけていただいき、お世話になっています。
 最初の活動は、知り合いになった築300年に近い江戸中期の町家をキャンドルで照らすことから始めました。2006年の冬至のころでした。たった一軒の町家を照らしてみる。いつもそこを通りかかる多くの人たちに、「きれいやなぁ。そういえば、あったな、こんな町家が」と気付いていただけたならよいなという思いでした。こうしてお付き合いが始まった町家にお住まいのみなさん。家だけではなく、住まい方やお気持ちも含めて「まちのたからもの」だと気付くのに時間はかかりませんでした。
 とは言え、町家の維持は大変です。不便もあるし地震もこわい、お金も手間もかかる。ご苦労を思うと、うかつには「この町家を残してください」とは言えません。そこで、決して、私たちの思いを押し付けることはせず、お付き合いいただく中で、より一層、お住まいになっている町家のよさをいっしょに見つけて喜び合い、また、何かお手伝いできることがあれば、無償でこれに取り組みたいと思いました。町家とそこに住まうみなさんが主役で、私たちはその黒子に徹するというのが基本です。町家調査(マチヤ・トコトコ)やキャンドル点灯、町家の実測、町家での茶話会(マチヤ・カフェ)などを行いながら、常にまちの中にいて、まちの人たちと出会い語り合う。こうして醸成されつつある町家のみなさんとその支持者のつながりは、これから一体どこへ向かうのでしょうか。町家でがんばるみなさんが、がんばりやすいまちになっていけばよいのですが。


マチヤ・カフェの様子

この夏のキャンドル点灯

300歳の町家が登録有形文化財に

 この夏、文化審議会の答申に173の建造物を登録有形文化財にする旨の記述がありました。その中の一軒にはじめにキャンドルを灯した高槻の町家がありました。ご自宅の町家としての意義を再認識なさったご当主が登録文化財にすることを数年前にご決心なさり、私たちもそのお手伝いをすることになりました。まちにとってもこの宝物が文化財になることは意義があり、今後のまちのあり様にも影響すると思われ、一軒だけの話ではなく高槻全体の町家を意識しながら作業に取り組みました。このため、過程においては当然(私はそう思っていました)行政も巻き込む形になり、大阪府や高槻市のみなさんにも大変お世話になりました。
 数年に及ぶ準備を経て、今夏ようやく審議会の答申に至ったわけですが、一軒の町家を深く掘り下げて調べてみたことで、まちのことをさらに詳しく知ることにつながりました。この町家が今後まちの中でどのような役割を果たすのか、見守り続けたいと思います。

いろいろ気づかされる町家の改修

 今、とある町家の一部を改修するお手伝いをさせていただいています。これまで何百年かの歴史の中で、多くの人が住まい、多くの職人さんが手を入れてきたこの町家。その歴史の流れの中に私たちもいるのだと思うとふしぎな気持ちがします。歴史の中になじんでいく作業なので、自己主張を控えます。家の人のお気持ちに沿うよう努め、家の歴史、空間、意匠、構造になじむよう工夫しながら、今の世に必要な性能を実現できるようにする。これって、マチヤ・テラスの活動にも仕事(建築設計)にも通じる大事なことやなぁと、ふと先日も思ったところです。これからもこんな感じでぼちぼちと活動していくつもりです。もしもどこかでご一緒する機会がありましたら、その時はどうぞよろしくお願いします。

最後に

 2006年の高槻市景観ワークショップ。お互いに別の輪にいたアルパックS氏とたまたま背中合わせに座る時間帯がありました。その時の「何かイベントやりませんか」という彼の悪魔のささやきが思い出されます。神戸の震災直後、アルバイトでお世話になったアルパック。敷地内だけを見て建築を計画、設計することに疑問を感じていた私にとって、とてもよい経験をさせていただきました。その後も何かとお世話になり、おつきあいは続いています。今後もずっと上と先にいてはるお手本でいてくださるものと期待しています。また、いつも興味深いニュースレターを編集なさっているN姐さん。Facebookでは過日、紙面がキティちゃんだらけになっている夢をご覧になったとか。せめて私のこの拙文廻りだけでもそれが実現していることに淡い期待を抱きつつ筆を置きます。

<プロフィール:岩崎卓宏>
高槻の町家を照らす市民活動マチヤ・テラスの中心メンバーです。本業は建築設計、事務所勤務を経て独立、現在は岩崎建築研究所。昔、アルパックでバイトしてました。
マチヤ・テラス通信:http://fukei.exblog.jp/


登録文化財・高槻300歳町家 明治時代には板垣退助さんも泊まったという