アルパックニュースレター192号

語りつぐべき戦争の記憶

執筆者;大阪事務所 中村孝子


毎年8月14日に慰霊祭が行われる「京橋駅爆撃被災者慰霊碑」

 大阪事務所がOBPに移転して今や25年になります。広大な敷地に建つ緑豊かなオフィス街や隣接する大阪城公園は、私のお気に入りの空間ですが、かつてここにアジア最大の軍事工場「大阪砲兵工廠」があり、大阪空襲で壊滅的な打撃を受けたことを京都からの転勤当初は全く知りませんでした。
 しかし、京橋から森ノ宮間に大阪砲兵工廠があったことから終戦前日8月14日に大空襲があり、国鉄に乗っていた乗客が京橋駅に避難したところに爆弾が落とされ多くの人が亡くなり地獄絵図のようやったらしいとか、あまりにも多くの人が亡くなり爆弾が一杯残っているので京橋周辺はずっと更地やったとかの話を母から聞くようになりました。また、JR京橋駅南口にある「京橋駅爆撃被災者慰霊碑」を目にしたり、何度か事務所周辺での不発爆弾の撤去騒動に遭遇して、普段、何気なく過ごしているこの美しい街に今でも戦争の爪痕が残っていることを意識するようになりました。
 さて、先日、ピースおおさかの戦争展に行きました。大阪市や堺市周辺は昭和19年12月~20年8月14日間に約50回もの空襲があり、うち8回はB29戦略爆撃機100機以上の大編隊による大空襲だったそうです。展示物の中には母が家を失った第2次大空襲の記録もありました。堂島ビルヂングまで通学していた母からの繁栄を極めた大阪の街が空襲によって廃墟と化したこと、累々と続く死体の山でまちは埋め尽くされ見ても恐怖を感じなくなったという話が、ますます現実味を帯びて感じられました。
 現在、大阪市内には戦火を逃れた近代建築が点在しており、当時の繁栄ぶりを垣間見ることができます。おそらく戦災がなければ、木造家屋も含めもっとすばらしい建物が残っていたことでしょう。
 今年は戦後70年という大きな節目を迎えます。戦争体験者の高齢化と減少に伴い、悲惨な記憶は風化しつつあります。しかし、「街に残る戦争の記憶」を通じて、たとえ悲しい記憶であったとしても、土地の記憶を前向きに受け継いでいくことが大切ではないでしょうか。


大阪城北西にある旧大阪砲兵工廠化学分析場

大阪城の石垣に残る機銃掃射の弾痕

旧大阪砲兵工廠荷揚げ門