アルパックニュースレター191号

特集「昭和の風景を訪ねて」
昭和な酒場にGO!

執筆者;ニュースレター編集委員会 鮒子田稔理・塗師木伸介

鶴橋編「よあけ食堂・海の家」

 JRと近鉄が交差する鶴橋駅の周辺には夕刻ともなると焼き肉の匂いが立ちこめ、駅のホームにまで充満しています。
 今ではすっかり鶴橋=焼き肉のイメージが定着していますが、実は鶴橋商店街の中で焼き肉店というのはほんの一部で、昭和50年代以降に増え始めた鶴橋商店街の歴史では比較的新しいと言えます。

鶴橋の成り立ち

 古来より難波~大和を結ぶ交通の要衝であった鶴橋に大正時代に近鉄電車鶴橋駅が整備され、昭和7年に国鉄城東線、今の大阪環状線が電化高架されて現在の鶴橋駅が開業しました。その頃は商店もちらほらあったものの、長屋住宅や小さな町工場が点在する比較的のどかな地域であったということです。
 第二次世界大戦が末期を向かえた頃、空襲による延焼の被害を軽減するために強制的に建物を取り壊す建物疎開が行われました。鶴橋周辺でも昭和19年12月から昭和20年6月までに計4回の建物疎開が行われました。突然自分の住居や生活の糧を失われるというあまりにも理不尽なことが戦時中には、当然のように行われていたのです。
 この建物疎開によって、鶴橋駅周辺には広大な公共の空き地が広がることになり、また、空襲による壊滅的な被害を免れていたため、戦争直後の未曾有の困難な時代を生き抜くために、人々はここで闇市を営み、あるいは食料や日用品を求めて買い出しに押し寄せたのです。それが現在の鶴橋商店街の発祥であり、細い路地や入り組んだカギ型の路地で構成されているのは、建物疎開のときの区割りの名残と考えられます。鶴橋商店街の東側を走る道路「矢田豊里線」は通称「疎開道路」と呼ばれています。

鶴橋に行けばなんでも揃う

 現在の鶴橋商店街は天王寺区、生野区、東成区の3つの区にまたがって6つの商店街で構成されており、商店街に属さない店舗も含めると約800店舗が営業しています。 キムチやチヂミなどの韓国食材を扱う店の他、服飾、鮮魚、乾物、飲食など業種は多岐にわたり、「鶴橋に行けばなんでも揃う」と言われていました。各店舗が小さいため、家具屋だけはないと言われていたようです。 お客さんも一般客だけではなく卸売市場エリアにはプロの料理人たちも早朝から買い付けに訪れます。最近では、マップとカメラを持って鶴橋まち歩きを楽しむグループの姿も見受けられ、1日中多種多様な人々が集うまちとなっています。

木造アーケード

 昭和30年代、全国的にも商店街にアーケードがつくられていきましたが、鶴橋でも昭和30年頃からアーケードが設置され、今でも当時のアーケードが使われています。なかでも中央会に設置されているのは木造のアーケードで、柱を建てるのではなく、建物から梁を突き出すようにして造られていて、現存する日本最古の木造アーケードと言われています。


何でも揃う商店街

木造アーケード

【よあけ食堂】

 鶴橋で働く人や訪れた人のために早朝から深夜まで営業していた飲食店も多くありました。その中のひとつ「よあけ食堂」を訪ねてみました。現在は朝10時~22時までの営業ですが、遅い朝ご飯、昼食、夕食や一杯飲みにくる人のために、ご飯物からお酒のあてまでたくさんのメニューがあり、決して広くはない厨房で手際よく調理されて、熱々の料理が次々とでてきます。イワシ汁うどんは小ぶりのイワシやニンニクや青唐辛子が入っていてうどんを食べ終わった後は、残った出汁でつくった雑炊を食べることもできます。





 

  

 

 

【海の家 紀伊国屋】

 JR鶴橋駅前から離れるように商店街をするすると奥へ進んでいったところに「海の家」というBARがあります。サーファーのマスターがオリオンビールなど南国のお酒などをそろえています。10人も入れば満席の鶴橋らしい心地よいサイズのお店で、気候の良い夜は店の前のテーブルで飲むことも可能です。ここは元々、マスターのお父さんが乾物屋さんをやっていた所で、そこを手作りで改装して今のお店にしたそうです。お店の前には乾物屋時代の看板が残されています。
 みんなの思い出を受け継ぎながら小さなスケールで変化していく素敵なまち、鶴橋を見た気がします。


乾物屋時代の看板が残されている「海の家」

◆よあけ食堂
大阪市東成区東小橋3-17-22
◆海の家
大阪市生野区鶴橋2-3-13

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2015年6月1日発行

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