アルパックニュースレター169号

ソフト・エネルギー・パス、関西学研都市 
そして、トリウム溶融塩炉の経緯

執筆者;アルパックOB 霜田稔

わたしとトリウム原子力発電

 福島原発事故の起こる3年前、関西学研都市の国際高等研の専門委を一緒に担った科学ジャーナリストの飯沼和正氏から、京都大学の若手のトリウム原子力研究者である亀井敬史氏(当時、京大宇治キャンパスの生存圏基盤技術研究プロジェクト助教、現在、立命館大学客員研究員)を関西でバックアップしてくれと頼まれ、わたしの原発研究及びトリウム研究が始まった。亀井氏を囲む研究会をアルパック京都事務所においていただきながら、原子力関係の友人や知り合い、京都府商工部や商工会議所、関西学研都市、兵庫県、あるいはジャーナリズム関係者に亀井氏を紹介して回った。さらには反原発の学者や事務局にも紹介してきた。このような取り組みをしていくうちに、このトリウム原子力開発は、飯沼氏をはじめ、伏見康治、西堀栄三郎、古川和男、石谷清幹先生らも絡んだ30年前からのプロジェクトであることや学研都市構想にも密接にかかわることもわかってきた。

石谷清幹阪大名誉教授の蔵書から

 昨年12月に、阪大名誉教授の石谷清幹先生に連絡をとり、トリウム等についての経過をお聞きしたいと思い立ち、連絡を入れると先生は入院しておられ、書斎にある関連文書を見てくれとのことで、1月に先生の自宅を訪ね、関連資料を見せていただいた。その後、東日本大震災が起こり、また、先生の病状も悪化したとの連絡を受けていたが、今年の6月についに亡くなられた。亡くなられる前に、先生の了解を得て、原子力安全にかかわる沢山の書籍、関係文献を引き取らせていただいた。
 その中には、先生が委員長を担っていた関西学研都市コア機構委員会、日本学術会議原子力特別委員会、第三者検査機構検討委員会等の資料をはじめ、さらにはアメリカの原子力発電の初代委員長であったDavid. E Lilienthal氏の有名な著作「岐路に立つ原子力」、福島原発事故を起こしたウラン軽水炉に代わると考えられる「トリウム熔融塩炉」を精力的に推進した初代南極探検隊長の西堀栄三郎先生やトリウム熔融塩炉の世界的研究者である古川和男先生の著作、さらには武谷三男、星野芳郎、中岡哲郎先生等の原発批判論文や科学技術論などが含まれていた。さらには30年前に、オイルショック以後の石油危機に対して、原発に頼ったハードエネルギーパスではなく、省エネや自然再生エネルギーというソフトなエネルギーパスを強調したイギリスのエモリー・ロビンスの著作や、その彼と関西学研都市懇談会メンバーとの交流会の記録など、当時の原子力開発をめぐる様々な動きを記録した資料や文献が含まれていた。

トリウム発電推進協議体制の挫折

 そして30年前に西堀栄三郎先生と古川和男博士が中心となって、伏見康治日本学術会議会長、茅誠二元東大総長といった学者、土光敏夫や能村龍太郎氏などの財界人、そして二階堂進といった政治家までを網羅して推進協議体制までが作られる寸前までいったにもかかわらず、中曽根内閣や通産省、電気業界などとの関係でとん挫した因縁の経過を持っていることも明らかとなった。また、トリウム熔融塩炉を開発したアメリカのワインバーグ博士(オークリッジ研所長)などのアメリカからの支援もあった取り組みであったことなどが、石谷清幹先生からいただいた様々な人の著作や文献で明らかとなった。
 さらに、古川和男博士の著作「原発安全革命 文春新書 2011年5月」や西堀栄三郎著作集、伏見康治著作集、吉岡斉九大教授の原子力の社会史など京大図書館、大阪府立図書館、国立国会図書館の資料を探し、ウラン軽水炉からトリウム熔融塩炉開発をめぐる論調の流れを追いかけて、「福島原発事故、関西学研、そしてトリウム熔融塩炉の経緯」という私の推測を一部含めながら連続読書感想集にまとめてみた。
 そこからわかってくる問題は、技術開発の問題を含みながらも、冷戦をひきずって来た核武装論、戦前の国策会社を思わせる電力供給独占体制、それに巻き込まれ癒着してしまった安全管理体制と、多様性と民主性を失ってしまった原子力研究開発の産学官体制、この体制を維持しようとする利権的な構造と、それに対峙する民主化勢力の未熟と勉強不足、また、エネルギー問題を国内的視点でしか見ない国際性の欠如や未塾な先進国の姿。孤立させられ消滅寸前に至っているトリウム熔融塩炉開発体制などをみると、これは戦後の占領政策の誤謬をひきずったことの結果でもあると思う。

福島原発事故と学研都市構想とわたし

 そして福島原発事故の背景となる政策と体制は、関西学研都市構想にも深く関係し、このような事故が起きないようにするためにも、学研構想が提案されたことも明らかとなった。同時に私にとっても、自分の地域づくりの専門家としての未熟さを痛切に感じさせるものであった。
 それは、若狭湾における原発建設がピークであった昭和50年前後、私は琵琶湖周辺や若狭湾地域を含む近畿日本海地域の総合開発計画などの地域計画策定を担当していた。しかし当時の私は、若狭湾地域で建設が進められていた地域の真の姿をまともに見抜いていなかったということを今、痛切に思う。若狭湾地域は、人口や雇用は維持したが、産業の多様性も失った過剰な原発銀座地域となり、また近接する近畿の命につながる琵琶湖への潜在的危険性を全く見抜けず、天衣無縫な夢を描いていたことであった。地域づくりという我々の専門のみならず、水問題、森林、食糧、医療、防災など多くの分野の専門家も原発の危険性の視点は不十分であったと私は思う。原子力の専門家だけに責任は転化できないと思う。
 東日本大震災もまた、これからのエネルギー政策も、霞が関中央依存を改め、東北や関西地域でのローカルイニシアティブでエネルギー政策転換を図り、トリウム熔融塩炉も地域にあったものとして、開発していくことが必要であると思う。  

終わりに、David E Lilienthalの「岐路に立つ原子力」

「原発安全革命 古川和男 文春新書」2011年5月、「ソフト・エネルギー・パス 永続的平和への道 エイモリー・ロビンズ著 室田泰弘訳 時事通信社」、「原子力の社会史 吉岡斉 1995年 朝日選書624」「核なき世界を生きる トリウム原子力と国際社会 亀井敬史」2009年などの文献等をぜひお読みになることをお勧めしたい。また本論をご希望でしたら連絡してください。
E-mail:mshimoda@nike.eonet.ne.jp
※トリウム溶融塩炉原子力発電
原子力発電の燃料をウランではなくトリウムとする発電。トリウムを燃やしてもプルトニウムを含む有害な放射性廃棄物がほとんど発生しない。また、小型化が可能であり、プルトニウムを燃料としても消費することも可能で、核兵器の拡散防止にも役立つとされる。

本稿は、アルパックOBの霜田氏より投稿いただきました。

アルパックニュースレター169号・目次

2011年9月1日発行

「まちづくりとエリアマネジメント」

ひと・まち・地域

きんきょう

メディア・ウォッチ

まちかど