アルパックニュースレター179号
市民の傍らにいる専門家に求められること~エネルギー・環境をめぐる「国民的議論」を事例として
寄稿にあたって
まちづくりの専門家である私たちにとって、市民とどのように向き合うべきなのかは日々考えるところです。市民が対話や熟議の中からビジョンを見出し、実現に向け自ら取り組んでいく、専門家はそれをサポートする、という構図の中で専門家には「市民が何を求めているかを感じる能力」が求められます。今回は、市民と専門家の関係といういわば「身近な」テーマについて、科学技術社会論からのアプローチに学ぶという趣旨から八木絵香氏に寄稿いただきました。
はじめに
2012年夏、これからの日本におけるエネルギー政策をめぐり、政府主催の「国民的議論」が実施されていたことを皆さんはご存じでしょうか。
2011年に発生した福島第一原子力発電所事故を受けて、当然のことながらエネルギー政策(特に原子力発電をめぐる政策)は、抜本的な見直しを迫られることになりました。そしてその見直しは、政治に関わる人々や、エネルギー問題の専門家だけでなく、「ふつうの人々」も参加した形での国民的議論を経て決めるという方針がとられたのです。国民的議論。この耳なじみのない言葉が示すことの意味は、どこにあるのでしょうか。
政策決定がなされる「前に」人々に相談(consult)するということ
福島第一原子力発電所の事故以前から国内外を問わず、不確実性が高く、また私たちの生活に与えるインパクトが非常に大きな政策決定について、専門家だけで判断するのではなく、その影響を受ける「ふつうの人々」の意見も聴いた上で判断することの重要性が指摘されるようになっていました。中でも、原子力発電やエネルギー問題に象徴される科学技術の問題は、その重要性が強調される分野でした。私自身は、「科学技術社会論研究」というアプローチから、この種の問題に関わっています。
政策決定がなされる「前に」、専門家だけでなくその政策決定の影響を少なからず受ける生活者に相談する(consult)ことが具体化されるようになったきっかけは、1990年代の欧州にあります。その代表例は、英国で発生したいわゆる「BSE問題」です。この問題が発覚した当初、英国の専門家集団は「この問題では人的被害は発生しない(狂牛病は人間にはうつらない)」という宣言をしていました。しかしその数年後には、変異型クロイツフェルトヤコブ病が発見され、人間にも感染することが明らかになりました。これにより政府や専門家は、「専門家による判断は正しい」と思っていた人々の信頼を失ったのです。
この後のイギリスを中心とした欧州での科学技術に関する政策決定は、専門家から非専門家への知識注入(PUS;Public Understanding of Science)をベースとした専門家主導の政策決定から、専門家のみならず、影響を受けるふつうの人々も含めた形で議論をし、その政策の方向性を協働的につくる「市民参加型テクノロジーアセスメント」を重視する方向へと変容していきました。国内においても、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件、もんじゅ事故など、大きな災害・事件が頻発した1995年を契機に、このような流れが注目されるようになったと言われています。
2012年夏のエネルギー・環境に関する国民的議論
話を再び2012年夏のエネルギー・環境に関する国民的議論に戻しましょう。
民主党政権は、2012年6月末にエネルギー・環境に関する選択肢(原子力発電所比率を、2030年代に0%、15%、20~25%という3つのパターンで象徴的に示した選択肢)を提示し、「国民的議論」を開始しました。ここでいう国民的議論とは、政府が主催した
(1)意見聴取会(全国11カ所、約1,300人が参加)、(2)パブリックコメント
(約89,000件)、(3)討論型世論調査(約6,800人が調査に参加、286名が1泊2日の討論フォーラムに参加)に加え、団体説明会や各マスメディアの世論調査などを指します。
今回特に注目された手法は、政府主催で行われるのは世界初であった討論型世論調査です。「討論型世論調査(Deliberative Opinion Poll;DP「以下、DP」)」とは、米国の政治学者ジェームス・フィシキンが開発した討論型の世論調査です。一般的な世論調査とは異なり、参加する人々は事前に情報資料を読み、討論フォーラムとよばれる議論の場に参加します。討論フォーラムでは参加市民同士、または参加市民と専門家のあいだで議論がかわされ、この討論フォーラムの前後で参加者の考え方がどのように変化するかを調査する点に特徴があります。また意見聴取会やパブリックコメントとは異なり、その参加者が無作為抽出により選ばれるため、議論の対象となるテーマについて強い主張や考えをもたない人々の声を聴きやすいという点にも特徴があると言われています。
今回実施されたDPでは、RDD方式(「Random Digit Dialing」の略。コンピューターで無作為に数字を組み合わせてつくった番号に電話をかけて調査する方式)を用いて無作為抽出された6,849名のうち、286名が2012年8月5日~6日に東京都内で開催された討論フォーラムに参加しました。私は、DP実行委員会の元に設置された第三者検証委員会の専門調査員として、一連のプロセスを参与観察し、その検証を行っています。
DPの結果を一言でいえば、全体的な傾向としては、討論を経て2030年代に原子力発電比率を0%とするというシナリオ(ゼロシナリオ)を支持した人が増加し、2030年代に原子力発電比率を20-25%とするというシナリオ(20-25シナリオ)を支持した人が減少傾向にあったということになります。また第三者検証委員会は、事前準備および当日の討論の過程において、特定の意図をもった誘導や「やらせ」といった操作等はなかったと結論づけており、そのような前提条件のもとで、参加者の多くがゼロシナリオを支持した事実は、重い意味を持つでしょう。
一方で、討論フォーラムでの参加者の発言を傍聴した私は、ゼロシナリオを支持した人の中にも、絶対にゼロにしなければならないという強い意思表明というよりは、「2030年(まで)に原子力発電所ゼロ」の実現は容易ではないと理解しつつも、「原子力発電所をゼロにしようとする『方向性』」もしくは「政策としてその方向性が『表明』されることを支持する」という人が少なからずいたように推測しています。DPの結果から一定の方向性を読み取ることが可能である一方で、その数字にだけ着目することの課題も見えてきたのです。

図:DPの基本フレーム
国民的議論から見えてきたもの
2012年8月28日に実施された「国民的議論に関する検証会合」に提出された「戦略策定に向けて~国民的議論が指し示すもの~(案)」は、DPを含めた国民的議論の結果をふまえ、次のような国民の意見の傾向を読み取ることができるとしています。
1)大きな方向性として、少なくとも過半の国民は原発に依存しない社会の実現を望んでいる。
2)一方で、その実現に向けたスピード感に関しては意見が分かれている。
3)パブリックコメントなど原発ゼロの意思を行動で示す国民の数が多いという背景には、原子力に関する政策決定のあり方に関する不信、そして原発への不安が極めて大きいという現実がある。
4)今回の国民的議論によって、国民は、2030年のエネルギーミックスの数字よりも、大きな方向性の中で、どういう経済社会を築いていくかに関心が高く、また、どの戦略を選択すれば、いかなる懸念が顕在化するかが明らかになった。政府は、そうした懸念に対して、真摯に向き合い現実的な解を提示していくことが必要である。
5)政府は、大きな方向性に関する方針を明示する一方、反対する意見、論点に対する回答を用意しながら戦略を提案しなければならない。
6)提案した戦略についても、情報を開示しながら国民的な対話を進め、論点ごとに丁寧に検証を行い、戦略そのものを国民とともに進め、改良していくことが不可欠である。
ここに示された内容、特に1)~4)は、一連の国民的議論により抽出されたデータや、それに対する批判(手法や実施内容の限界に対する批判を含む)をふまえた上で、一定の説得力のある解釈であろうと私は考えます。それにも関わらず、報道などの論調は、1)の解釈のみを強調したものが少なくなく、国民的議論の結果は「ゼロシナリオ支持」のみであるかのように印象づけられたことは否めません。また、さまざまな政治プロセスの中で、この国民的議論により示された「声」の取り扱い方はもとより、その存在すら不透明なものになってしまっています。
将来にわたるエネルギー政策という重要なイシューについての「国民的議論」、この野心的な試みは、国民の関心を丁寧に聴き取りつつ政策を決める方向性への踏み込みとして一定の評価ができるものの、その実施方法のみならず、解釈や周知の方法、さらに政策決定への具体的な接続方法はどうあるべきか(「国民」により示された声を、政策に直結させることの限界についての吟味を含む)など、根源的な課題をいくつも残した事も事実なのです。
市民の傍らにいる「専門家」に求められること
ここまでに示したように、2012年夏のエネルギー・環境政策をめぐる国民的議論にはいくつもの課題があります。一方で、この国民的議論は、「終わってしまったもの」ではなく「新しい始まりへの一歩」なのだとも言うことができるのではないでしょうか。
冒頭に示したように、科学技術問題などの不確実性が高く生活へのインパクトの大きい社会問題の解決にあたっては、専門家が市民を啓蒙するモデルから、ふつうの人々の良識から導かれた結論を重視する「専門性の民主化モデル」への変換が世界共通の流れです。その程度やスピード感については別途議論が必要ですが、この方向性を完全に無視することもまた困難でしょう。
その時、市民同士が対話や熟議の中から目指すべき方向性を見出していくプロセスを支援する、そしてその意見や考え方を政策につなぐ形で「可視化」する役割を担う専門家の存在は不可欠となります。エネルギー問題に関わらず、専門家の間でも意見に強い相違があり、市民の間でも価値判断がわかれる問題について、冷静に、また多様な意見を承認しつつ議論できる場づくりはどのように可能なのでしょうか。専門知識をある程度必要とする一見ハードルが高い議論の場に、多様な人々が参加できる枠組みはどのように可能なのでしょうか。またその結果の可視化はどのように行われるべきなのでしょうか。そういった観点から見直してみると、2012年夏のエネルギー・環境に関する国民的議論は、私たちに様々な教訓を示してくれるものと考えます。
【参考資料】
○八木絵香、エネルギー政策における国民的議論とは何だったのか、日本原子力学会誌Vol.55、 No.1 p29-34.2013
○ 「エネルギー・環境の選択肢に関する国民的議論」の実施内容および結果、検証会合等のついては、下記リンクを参照のこと(公式ホームページはすでに閉鎖されているため、web archiveのリンクを引用。2013年4月30日現在)。
http://web.archive.org/web/20130317195000/
http://www.npu.go.jp/sentakushi/
アルパックニュースレター179号・目次
寄稿
ひと・まち・地域
- 地域から少子高齢化への対応を考える(その1)~女性就業率が高いと出生率も高い~/代表取締役社長 森脇宏
- 都市部の友好都市をねらえ!過疎地域の再生実験~京都府京丹後市(久美浜)×京都府木津川市
/地域産業イノベーショングループ 原田弘之・地域再生デザイングループ 森岡武 - 少子高齢社会対応ビジネス事例集を作成しました/地域産業イノベーショングループ 武藤健司・高野隆嗣
- 日本と台湾のビジネスマッチングを支援します/ 地域産業イノベーショングループ 高野隆嗣・江藤慎介・松田剛
- 中小企業が海外展開しても国内は空洞化しない!~関西中小企業の海外展開実態調査のご報告
/地域産業イノベーショングループ 江藤慎介・高野隆嗣
きんきょう
- 和歌の浦景観重点地区が指定されました/都市・地域プランニンググループ 絹原一寛・依藤光代
- みんなのNPOの活動報告!/公共マネジメントグループ 廣部出
- 小阪商店街の「若手」商店主が中心になって「まちゼミ」をしました
/都市・地域プランニンググループ依藤光代 - 新人紹介/地域産業イノベーショングループ 片野直子







