アルパックニュースレター172号

特集

平群町で山城モニターツアーを開催しました

執筆者;大阪事務所 鮒子田稔理




「平蜘蛛の茶釜を寄越せば命は許すだと?笑止な・・この茶釜だけは断じて信長には渡さぬわ」そう嘯くと松永久秀は平蜘蛛の茶釜に火薬をつめもろともに砕け散るという壮絶な最期を遂げる。
  その舞台となった信貴山城は現在の奈良県平群町、大和と河内を結ぶ要衝の地にあってその中腹には毘沙門天を本尊とする朝護孫子寺があり、多くの参拝者が訪れていますが、信貴山城跡を訪れる人は少ないどころか今はその存在すら知られていません。南北700m東西550mに渡って築かれた城は当時奈良県下でも最大級で、曲輪の数は100以上にも及ぶ巨大な城跡です。松永久秀は一般的には残忍、狡猾、傲慢といった悪いイメージで知られていますが、信貴山城や多聞城は宣教師ルイスフロイスが絶賛したとされる美しさと機能美を備えており、優れた城郭建築の才を持つとともに茶人としても一流であったと伝えられています。一度は信長に仕えますが、保有していた茶器を信長に献上を命じられ、信貴山城で名器「平蜘蛛の茶釜」とともに爆死します。
  平群町にはもうひとつ中世の山城椿井城があり、この山城は関ヶ原の戦いで石田三成の片腕となった軍師島左近が筒井家に仕えていた頃の居城と伝えられるものの史料としては築城時期や城主について確実なものはありません。松永久秀と筒井との小競り合いの中で最終的に松永久秀の支配化にあったのではないかという説もありますが、「三成に過ぎたるものが2つある 島の左近と佐和山の城」と詠われるほど名将として名高い島左近所縁の城ということで地域の方々に愛着をもって支持されています。
  平群町では、この2つの山城を中心とした歴史資源を活用し、幅広い年齢層をターゲットとした観光振興や地域の活性化を図ることを目的として椿井城・信貴山城跡整備構想を現在立案中で、アルパックではそのお手伝いをさせていただいております。
  そこで、この平群町の山城を少しでも多くの人に知っていただき、今後どのような整備を行っていくかを考えるにあたっての参考とさせていただくために、モニターツアーを昨年11月26日と12月17日に開催しました。
  当日は三重大学大学院で中世の城郭研究をされている中川貴皓氏に案内をお願いしました。中世の山城跡は、何も知らずに訪れると、ただの山に過ぎません。山城跡を楽しむためには、先人の作成したお城の縄張り図を元に自身の日頃の鍛錬、勉強が必要になりますが、やはり、城郭を読み解く専門家と一緒に登って説明を聞きながら山城探索を行うのがベストです。
  このモニターツアーではそれぞれ30名ほどの応募をいただき、中川氏の現地での説明を聞きながら、山城散策を楽しみました。わざわざ関東方面から参加をいただいた方もおられました。
  椿井城跡では、平成22年頃より地元住民の方々によって草刈などが行われブッシュだらけで立ち入るのが困難とされていた山城跡も今では見違えるようになっています。今後、椿井城・信貴山城ともに多くの人に愛されるよう整備を行っていくわけですが、これまでの城整備のようにコンクリートの復元というような作り物ではなく、むしろ何もない場所に行ってそこで繰り広げられたであろう様々なドラマに思いを馳せることができるような城整備ができればと思っています。

アルパックニュースレター172号・目次

2012年3月1日発行

特集「まちづくりと城」

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