アルパックニュースレター195号

子育てに学ぶ 地域づくり、企業経営

執筆者;名誉会長・顧問/三輪泰司

 昨年11月28日、京都市保育園連盟創立60周年。八瀬野外保育センター45周年記念の第32回落ち葉まつりは、たいそうな賑わいでした。芝生広場から“ひいらぎの家”へ上がる石の階段が出来、水場での「学ぶワークショップ」藍染が盛況。レクチャー・コンサート「フルートの歴史―バロックから現代まで」が好評でした。堀川高校出身で、愛知県立芸大教授の村田四郎先生、丹下聡子先生のフルート、内本久美先生のピアノ演奏に、丹下先生が、フルートという楽器の色々と、バッハ、ヘンデル、モーツアルト、ジュナン、ドップラーの曲を解説され、超満員の“からまつホール”は、大きな感動で包まれました。


もりの家

誰も皆、子どもだった 事実に基いて考える

 どなたか「自分は赤ん坊ではなかった」という方はいらっしゃいますでしょうか?
 若い所員諸君と話しをした時「生まれて最初の記憶はなにですか」と聞きました。自分で記録していないですが、味覚・嗅覚・視覚等々の「感覚」に属することは確かなはずです。私は、伯父が写した写真があって、土鍋に手を入れておかゆを食べています。離乳食です。味覚です。私は味噌屋のせがれで、後継ぎにと祖父母に育てられたのですが、生まれた時、祖母は57歳。それで乳母がいました。祖父が亡くなった中学2年の時、通夜に来たおばちゃんが「まあ、大きくなって」と抱きしめてくれました。思い出しました。髪の椿油の匂いでした。嗅覚です。その“ハタのうば”の家に連れられたことがあります。草の中に座らされ、やっこらさと立ち上がったら、目の前が見わたす限り、まっ黄色でした。菜の花畑だったのです。視覚です。計算すると、満1歳8ケ月です。そこは八瀬の里でした。
 この事象記述の方法は、ジェーン・ジェイコブス流で、保育の現場で「エピソード」記述として一般的です。もう一つ、定量的調査から入る方法があります。保育園連盟の保育研究所、2015年度の実践論文で、給食の残食、即ち食べ残し調査の研究がありました。3ヶ月毎日の離乳食・幼児食を年齢別に全数計測し、個別児の特徴の記述も加えて分析しています。新奇性恐怖と言い、初めはとっつきにくいですが、3・4・5歳と慣れてくると残食は、限りなくゼロへ際立って減ります。子どもは野菜を食べないということはありません。調理の工夫です。味、匂い、口あたり、五感で受け付け、慣れるのです。カレー味、ラーメン味とともに、味噌味、和風醤油味も受け入れています。ワールドワイドで調べたら「和食」一般を超える食の姿が解明され、食材流通が拡がるのではないかと想像しました。
 我々はしばしば、なになにの目線でとか言いますが、ほんとうに分かるように努力しているでしょうか。分かったつもりで留まっていないでしょうか。最も警戒すべきは思い込みです。錯覚、失念とともに人間の特技です。


藍染を学ぶワークショップ

人間は食べてできる 家庭にもある食育

  誰でも人間は、“食べて”、人間になります。
 1年365日、1日3食で、年1,095食。外食もあるので、家での食事を、年間1,000食とすると、10年で1万食。20年で2万食。自分の身体は、自宅での調理で造られているのです。誰が作っているのでしょう。
 食に関しては、私はたいへんラッキーでした。先ず第一。この新年で結婚して55年2ヶ月になります。仕事柄、外食も多いですが、ざっと5万食は、嫁さんの厄介になっています。
 家内は同志社女子大の家政学部食物科の出身で、栄養士の資格を持っていますので、普通の主婦より少しは食の知識をもっています。実家が温泉旅館で、板前さんに仕込まれて、味付けや盛り付けの調理法も心得ています。
 第二は、中学から大学まで、祖母と隠居で暮らし、戦時中にも関わらず、しかも成長盛りであったのに、食に窮しなかったことです。場所は、府庁の真裏、街の中で、敷地は200坪もあって、半分は畑でした。祖母は、明治26年に19歳で祖父と結婚するまで、或る宮家で女官を務めていましたが、元は嵯峨の農家の出。座敷のしつらえ、お茶事も教わりましたが、畑仕事も教わりました。さつまいも、じゃがいも、葱、大根・人参、胡瓜、南瓜。味噌屋だから獲れすぎても味噌漬にします。鶏も15・6羽飼っていて、毎朝、卵を回収しました。お茶の木もあり、畑には実のなる木―柿・枇杷・蜜柑からバナナまでありました。私の仕事は、畑の水撒きと鶏の世話。鶏糞は畑の肥やしに、大根の葉は鶏の餌にと、完全なリサイクル。


からまつの家

「土と緑の賞」の取組のスタート

 1988年に伊佐義郎先生の提唱で「土と緑の賞」を始めました。受賞園は30ヶ園以上になります。緑と花を植えるから、栽培へと進みました。発展して全園対象に「かぼちゃコンテスト」を始めて4年になります。園に種を配り、プランターで育てます。重さで競います。収穫し、食材に触れ、調理して食べます。

子どもを産むには 地域社会でのプロ

 象が1~2頭しかいない動物園では、子象は生まれ難いそうです。おばあさん象、お母さん象が、沢山いて教えあって、子を産み、うまく育てることができるのです。象は低周波でそれはイカンとか、ヨロシイとか、コミュニケーションしているのだそうです。
 地域社会には、お年寄りや、おばちゃんがいて、教え合い、学び会って、子どもを産み、育ててきました。お年寄りが居るというだけではダメ。孤独にしておいてはダメです。
 京都橘大学では、地域の老人クラブと連携して、醍醐・男山・向島の団地は、看護科の学習と研究のフイールドになっています。 保育園は子育て、食育のプロが居る、地域コミュニティの結び目です。
 人間が象より賢いのは、ヘッドクオーターを造ることでしょう。八瀬野外保育センターでは、運営委員会です。地域社会ではまちづくり協議会のような組織で、都市計画や植栽計画など、専門的な技術・知識を持つプロの存在と、連携役の意義もそこにあります。関係者間の調整と反省をして、進歩して行きます。人間が面白いのは、そこではたいてい、一杯飲んで潤滑油を注入し、愉快に親睦を確かにすることです。


落ち葉が美しいセンターの庭

回転する奉仕と実業 動力源はパッション

 フルート・コンサートは、地域計画・名古屋の尾関利勝さんの「製作・企画・演出」です。製作者として、資金調達は、地域計画・名古屋とその役員個人の提供です。
 八瀬野外保育センターでは、皆でタンポポを植え、池を掘り、入れ替わり立ち替わり働いてきました。自転車振興会、馬主協会に支援をお願いにも行きました。
 日本万博の年、第1期「自然とのふれあい」をテーマに、既存の建物を改装した「ひいらぎの家」が出来ました。第2期・1952年「創造のよろこび」をテーマにしてのホール「からまつの家」は尾関さんの設計、「さくらの家」は岩瀬さんの設計。第3期・1981年「人と人のふれあい」をテーマに「かつらの家」は内村雄二さん(現・福井工大教授)の設計。
 私たちの施設づくりは、なくてはならない仕事で、いわばハードウエアー担当です。それにお泊り保育や保育研修などのプログラムがなくては動きません。ソフトウエアーです。
 実はそれにもう一つ「ハートウエアー」があってぐるぐる回転します。そのみなもとはパッションというしかありません。皆さんの無償の労働、落ち葉まつりで、室内楽を聴かせて下さっていたバイオリンの岩淵龍太郎先生、尾関さんらの奉仕の精神です。かくて、「落ち葉は、草木の涅槃の姿」となり、事業が持続するのです。


さくらの家:岩瀬誠一・画 ニュースレタ―No.23(1987年5月)再掲

アルパックニュースレター195号(新年号)・目次

2016年1月1日発行

新年の挨拶

ひと・まち・地域

きんきょう

うまいもの通信

まちかど